実に久しぶりの更新となってしまいました。
放棄しているつもりはなかったのですが、仕事で多くの文章を書きつつ、さらにブログもとなると正直億劫になりがちです。
それでも今回はどうしても早くUPしておこうと思いました。
昨日まで台湾におりました。
今回は20数年ぶりに東海岸を訪れるのが目的でした。
ニュースでご存知かと思いますが、2018年2月6日23時50分ごろ、台湾東部・花蓮県沖を震源とするM6.4の地震が発生し、震度7級(日本の震度7とほぼ同じ)の激しい揺れにみまわれた花蓮市では甚大な被害が出ています。
倒壊した建物にまだ多くの方が行方不明となっているとのこと。
被災後の生存救助の壁と言われる72時間まであと1日と少し。
心の底の底から一人でも多くの方々が救出されることを願ってやまず、気持ちはなかなか日常に戻せません。
私は4日 日曜日に花蓮に到着し、そのまま山の中の太魯閣(タロコ)峡谷へ入り、峡谷内で2泊3日を過ごし、6日火曜日の午前中に花蓮市に戻り、市内をくまなく歩いて楽しみ、台北夜着の列車で移動しました。
暖かい台湾なのに山間部で雪が降ると言う記録的大寒波と、季節外れの雨続きの日々ではありましたが、山水画の世界が広がる大理石の峡谷の太魯閣は本当に美しく、花蓮市内は先住民族の文化や開拓者である日本人の足跡などが実に興味深く、またおいしいものがたくさんあるので楽し過ぎて短時間では物足りなく、近々の再訪を決意していました。
大地震が発生したのはその夜遅くです。
移動先の台北では震度3級でした。
いつもなら小さなブティックホテルを泊まり歩くのが好きなのですが、今回はたまたましっかりした建物である高級ホテルに泊まっていました。
そこまで激しくはありませんでしたが、揺れが数分も続いたため、さすがにこのままビルが倒壊するのではないかという恐怖心にあおられました。
そしてそれは、たぶん台北から離れた花蓮あたりで相当巨大な地震があったことを容易に想像させるものでした。
すぐにテレビをつけてローカルチャンネルに変えると、やはり花蓮で震度7級という大地震が起きたという緊急速報でした。
やがて花蓮市内の映像が流れるようになり、そこにはつい数時間前に歩いていた場所で、いくつもの建物が傾いたり、道路が地割れしていたり、人々が恐怖のなか避難をしている光景が映し出されました。
あまりのショックにただただ画面を呆然と眺めていました。
日本ではあまり報道されていないようですが、実は地震が始まったのはこのときではありません。
私が太魯閣に入った4日 日曜日の夜9時過ぎ、やはり花蓮市沖を震源とする大きな地震が発生し、最も揺れたのが震度5級を記録したまさに太魯閣でした。
それはちょうど山中のリゾートホテルで先住民族の伝統舞踏を見ていたところで、観客を巻き込み大勢でバンブーダンス(地面に置いた竹を開いたり閉じたりしながら踊るダンス)が始まったところでした。
大勢で踊ったから会場が揺れたのかと思いましたが、確実に大きな地震であることはすぐに気付き、しかし皆それほど気にすることはなく、ショーは残り30分の最後までちゃんと演じられました。
決して小さくはなく、むしろ大きな地震でしたが、パニックどころか騒ぐ人は誰もおらず、もともと地震の多い土地だけに皆慣れているのだろうと感心したものです。
しかし、これをきっかけとして小さなものから震度4クラスまでの地震が立て続けに起きるようになり、ニュースによれば体感できるものだけでたった一晩で70回を超えていたそうです。
深い山中にゴーッと低い地鳴りが響き渡り、遅れて揺れがやってくる。
なかなかに恐ろしい状況でしたが、同じパターンが繰り返されると人は慣れるのか、ベッドに入るといつの間にか朝まで熟睡していました。
翌朝には地震も少し落ち着いていて、そのまま太魯閣峡谷の観光へ出かけました。
もともと崖崩れなどが日常的に起こり、毎年のように犠牲者が出ている場所だけに、はたして大丈夫か心配していましたが、路線バスは何事もなく走っており、団体を乗せた観光バスは何台も山の中に入ってきていました。
しかし、やはりところどころでがけ崩れは起きていて、小さな渋滞があればそこは落ちてくる岩をタイミング見計らってブルドーザーが脇に除け、その隙に車が通るというリアルタイムの崩落現場。
日本なら間違いなく通行止めですが、こういうことにも慣れているのだなと驚きました。
規則のヘルメットを被りつつ、峡谷の散策もしましたが、あいにくの雨にも関わらずそこにも多くの観光客が歩いていました。
ローカルガイドをしているという若い女性と話していて地震のことを訊ねると、「花蓮はすぐ近海でプレートが常にぶつかり合い続けている。体にこそ感じなくても大地がずっと揺れているような場所なのよ。それがたまに人が感じるような揺れになることがあるだけ。心配はいらないわ」と教えてくれました。
観光から戻ってからも、ときおり地響きと地震は続いていました。
でも、なんとなく心配しなくなり、夜にはたまたまテレビ放映されていた映画『セデック・バレ』に見入っていました。
これは、日本統治時代の1930年に台湾で起こった先住民セデック族による抗日暴動、いわゆる霧社事件を描いたものです。
先住民族の多い地を訪れたタイミングでこれが流れていたことには実に複雑な思いでした。
本筋からは脱線しますが、この映画はあらためて台湾と日本の関係を考えるきっかけになりますし、安藤忠信や今をときめくディーン・フジオカなど、当時中華圏で活躍していた日本人俳優たち、日本で大人気だったビビアン・スー(彼女も先住民タイヤル族の血を継いでいます)なども出ていますので、機会があればぜひ多くの人に観てもらいたいです。
地震は翌日に花蓮市内に戻るまで続きましたが、市内を散策しているときにはまったく気にならなくなっていました。
たぶん、それは花蓮の人々も同じ。
というより、彼らは慣れ過ぎていた部分もあるのかもしれません。
天災に油断することなかれ。
繰り返されてきた悲劇と、それを体験した先人たちの教えは忘れてはいけないことを痛感します。
誰もが4日夜の大きな地震を本震と考え、また専門家たちもいろんなメディアでそう話していました。
ということは、大きな余震はあるだろうが、それ以上のことはない。
しかし、その予測は6日夜の巨大地震によって裏切られてしまったのでした。
専門家は6日夜の地震を本震と訂正し、政府も正式に訂正しました。
今回の地震で大打撃が間違いない観光は花蓮地区の重要な産業です。
大陸中国と台湾が蜜月であったころ、花蓮には多くの中国人観光客が押し寄せ、町と周辺は大いに潤いました。
しかし、政権が代わって大陸との関係が冷え切ると、中国人観光客はとたんに激減し、町には使う機会のない大型バスがあふれ、無粋な観光施設などが廃墟のように取り残され、多くの人が職を失いました。
空前の台湾ブームの日本。
しかし、台北や台南など、日本人が訪れる場所が驚くほどごく限られていることに、私はずっと違和感がありました。
訪れるべき素晴らしい場所は、台湾にはたくさんあります。
台湾を旅して好きになってもらえたならば、次はぜひそういう地方にも足を延ばして欲しいのです。
花蓮市もまた、美しい風景に包まれ、先住民族のユニークな文化にあふれ、おいしい名物の食べ物がたくさんあり、台湾と日本の関係の歴史にも触れられるところ。
私はぜひたくさんの日本の人々にこそ訪れて欲しいと思っています。
台湾加油! 花蓮加油! 太魯閣加油!
(台湾がんばれ! 花蓮がんばれ! 太魯閣がんばれ!)
いま、私たちにできることは限られています。
東日本大震災のときに台湾の人たちが助けてくれたように募金も大切だと思います。
だけど、無力なことに多くのことにはただただ祈るしかない状態です。
でもでも…
地震が落ち着いて、安全が確保できるようになったら、ぜひ花蓮や太魯閣を旅してください。
美しい風景に癒され、優しい人々と交流し、歴史や文化に触れてください。
それが私たちにできる最高のことのひとつのように思います。
UPした写真は大地震直前の太魯閣や花蓮のさまざまです。
再びこの地を多くの人が訪れることができますよう、いま一度、
台湾加油! 花蓮加油! 太魯閣加油!